第13回石丸サッカー放浪記

長い長い旅だった。

2019年6月20日

期待を胸に羽田を発った。

あれから264日、羽田へと戻る飛行機の中で最後のブログを書いている。

経験したことのなかった海外での暮らし。何もかもが新鮮で刺激的だった。

思えば旅を始めた当初は、大学受験で完璧にしたはずの英語だが間違えるのが怖くてビクビクしながら、常にGoogle翻訳を片手に過ごしていた。終盤、地球の反対側に来ては、少しかじった程度のスペイン語をミスも恐れず我が物顔で使いこなしていた。無茶苦茶な文法のまま。この時もやはりGoogle翻訳は欠かすことのできない良き相棒だったのだが。

この一年は自分にとってどうだったのであろうか。

「視野が広がり、様々な経験を積むことが出来た素敵な一年でした。」

間違ってはいない。

できるようになったことも、わかるようになったこともたくさん増えた。でもそれ以上にできないことやわからないことがたくさんあることも分かった。昨春には少しも自分の心を動かしてはくれなかった大学のシラバスに目を通すと、さまざまな学問に興味をひかれている自分がいることに気が付く。将来的な目で見ても、自分の軸にしたい大切なものがいくつも見つかった。

とは言え、何かを成したわけでもないし、一見コンフォートゾーンを抜け出したように見えて、なんだかんだ色々なものに守られてぬくぬくと過ごしてきた一年だったようにも思える。思考が先回りし、理想と態度ばかりが大きくなっていく傍らで、中身や行動が伴わず、なにかとかこつけてベッドの上でYouTubeとNET FLIXを見て過ごすだけの日もあった。

「一年を無駄にするだけだから休学せずに大学へ行け」

去年の四月、休学を切り出した際に父親の口から放たれた言葉。

この一年は自分にとってどうだったのであろうか。

改めて、この問いに向き合ってみるが、答えはまだ出そうにない。過去の行動が未来を規定するのではなく、未来によって過去に意味が与えられ色づけられる。

だから、この問いはもうしばらく経った未来に考えることにしよう。

ただ、いま間違いなく言えることは、この一年が今までになく新鮮で楽しかったこと。そして、少し先の未来がこの一年の自分を肯定するのに十分足り得るほどの種をまくことが出来たということだ。

「良い一年だった」

と、胸を張って肯定できるように、この一年の経験を糧に励んでいきたいと思う。

自分の申し出に反対しながらも最後は旅立ちを認めてくれた父親もいまは旅立ちを認めた判断と自分のこの休学の一年を肯定してくれるんじゃないかな、と思う。期待を込めつつ。

筋も論理も通さず、計画もロクに進めずに「行かせてくれ」の一点張りだった自分の申し出を認めてくれてありがとうございました。これからの大学生活でこそ、「この一年を無駄にするな」と鼓舞してもらえると嬉しいです。

後押ししてくれた母親、中立的な立場からアドバイスをくれた兄にもこの場を借りて感謝を伝えたいです。ありがとう。妹もバモ。

さて、最後にこれからの話とサッカーの話も少し。

先に述べたように、一年を通して自分の興味は格段に広がった。やりたいことだらけで残りの4年の大学生活をどのようにデザインするか、結局まだ決め切れていない。長いようで限られているモラトリアムをどのように使うか。やりたいことをすべてやろうとしたら、かなり切り詰めて自分をマネジメントする必要がある。体育会の部活という狭い世界ででサッカー一本に打ち込んでいる場合ではない。

ではない。

のだが、サッカー以外にやりたいことをたくさん見つけられたのと同様に、サッカーをプレーすることを心から愛する自分がいることにも気が付いた。

9ヵ月、23か国を渡り、観光も沢山した。綺麗な海や自然、歴史的建造物や遺跡、世界中の名画と呼ばれる作品などにも目を通した。世界中から集まる面白い旅人や、現地の人たち、かっこいいサッカー選手から、ピッチ外からサッカーに関わる人たちまで。沢山の出会いもあった。

それらすべてに心を動かされた。充実した時間だった。

けれど、世界のどこに行って何をしても、自分自身がピッチの上でだせるものを表現し、全力で走り回ることで得られる心の昂ぶりや充実感に勝るモノは得られなかった。気の知れた仲間たちと、チームとして一つの目標に向かって、90分のあいだ目の前の一瞬一瞬に心と身体から湧き上がるものを全力でぶつけることのできることの素晴らしさを再認識した。

自分が熱狂できるものや好きなものがあるということは思っていた以上に大事であるようだ。サッカーが好きな理由や、サッカーをする意味など言語化する必要もない。言葉にできないけど、なぜか熱中してしまう、その魅力に憑りつかれてしまっている。それで充分だ。というより、だからこそ素晴らしい。そんな対象他にないのだから。

だから、プレーをやめるつもりもないし、新しくできた興味を捨てるつもりもない。とりあえずやりたいこと全部をやれるところまでやってみようか。

ただ、戻る前に一つ考えておきたいこともある。

23ヵ国を回り世界の様々なサッカー現場を目にして感じた。世界中のさまざまなスタジアムを訪れ試合を眺めた。ヨーロッパのトップリーグからアフリカの三部リーグまで。一試合でウン千万という額のお金が動くという試合から、選手に満足な給料が行き届かないような環境での試合まで。それらは全て様相が異なり、とても同じ枠組みのものとして考えられないほどだった。

が、どこのスタジアムにもただ一つ共通して言えることもあった。

それはすべてのスタジアムに、そこで暮らす人々の生活があったこと。そしてそこには彼らの熱狂があったということ。もちろん、同じサッカーという競技とは言えどヨーロッパと東南アジアのリーグではその競技レベルには雲泥の差があった。だが、競技レベルは違えど90分という制約の中で、秒単位で状況が目まぐるしく変わるこのスポーツの迫力と予測不能性はそこに関わる多くの人の心を鷲掴みにし、感動を生みだしていた。

他のさまざまなことと同じように、サッカー観戦に求めることというのは人それぞれであるだろうが、その根底にはここでしか得られない感情の爆発があるのだろうと思える。

チームが勝っていようが負けていようが足繁く、それが当然であるかのように週末にスタジアムに足を運ぶ。多くの人たちの生活の一部にそれはあった。

ということを考え始めたのも最近のことで、そのきっかけとなったスタジアム体験があった。

ㇻボンボネーラ。アルゼンチンの強豪ボカジュニアーズの本拠地。

ここでのスタジアム体験は格別だった。ここに住むブエノスアイレス市民に嫉妬するほどに。熱狂が渦巻く非日常体験がここにはあった。ディズニーランドよりももっと安く、もっと自分たちの生活に根付いた、そして飽きることのない夢の国。

もちろん個人の感覚に拠るのだが、自分の目にはそう移った。

一つのサッカーチームが何万人もの人たちの生活に彩を与えている現場を目の当たりにした。

勝ち負けがすべての世界だと思っていたサッカーの世界。もちろん勝ち負けは大切な要素であり、これを必死に求めるからこそ多くのものが生まれるわけだが、一つのサッカークラブ、サッカーに関わる全ての人たちにとって本当に大切なこと、求められていることは勝ち負けではないのではないか、と思わされた。

たとえ負け続けたとしてもスタジアムの魔力に引き寄せられている人たちは足を運ぶのをやめないだろう。負けによってプレーヤー、サポーターが、怒り、悲しみ、その他こころの底から湧き上がる負の感情を抱いたとしても、それすら素晴らしいことである。

スタジアム体験が人々の生活から離れるときというのは、勝てなくなったときではなく、他の大切な何かを失った時だろう。

モノが満ち足りて、生活に困窮することがなくなり、余暇を求めるようになったこのご時世、先進国の国々においてこの体験、空間が担う役割はとても重要なものであると思える。

生活が苦しく、身近な健全な娯楽が限られているような貧困地域においても同様である。

ここまできて、東大ア式のことに戻して考える。

プレーをするからには、もちろん結果にこだわることを第一に据えて取り組んでいくつもりではある。だが、勝ち負け以上に“東京大学ア式蹴球部”がどのような存在としてあるべきかというところから考えていきたい。日本の最高学府たるこの大学の組織にいながらサッカーをする意味、この部活の存在意義を考えていきたい。

自分にとってサッカーはかなり大事だが、サッカーが人生なわけではないので。

なので、既に多くの人たちが、そして部としても考えてきていることではあると思うが、

「サッカーを通して何ができるか、何が得られるか」

ということを改めて考えるところから始めていきたい。この一年、自分はサッカーを通して多くのことを学び、多くの人に出会うことができた。言葉が伝わらない中でも友達ができ、社会問題や経済問題も目の当たりにした。

そのサッカーとこれからも生きていきたい。

時々、自分の活動の様子を観て、「すごいね」と声をかけてくれる友人がいたりした。嬉しい限りだし、自分でもいい経験が出来ていることは認める。けれど、それらの経験は本当に多くの方に手助けをしていただいたおかげで得ることができたものであって、自分ができたことはなにもない。自分は一ミリもすごくないのだ。

でも、案外人生ってそんなもんなのかな~とも思ったりもする。これからも多くの人や場所との素敵な出会いを楽しみにしています

正式入部前にして、恐らくア式史上誰よりもホームページに文字を残す事になりました。最後まで駄文、長文失礼しました。最後までご拝読くださり誠にありがとうございました。

自分がマザコンと気づいたのが旅最大の収穫

1年 石丸泰大

2020年3月8日

2 thoughts on “第13回石丸サッカー放浪記

  1. お疲れ様でした!
    う、羨ましい!の一言です。
    大学一年生の若いうちに世界を知ることができるなんて。
    それも、サッカーという共通言語を通じて。
    たくさんのスタジアムで起こるサッカーのある日の夜の街の盛り上がり…。
    記事を読むたびに、数十年前、一人で欧州に蹴球旅行した日のことを思い出させていただきました。
    ぜひ子どもたち、特に小学生高学年以上にその経験伝えて欲しいです。
    ありがとうございました。

  2. 石丸君お疲れ〜 君が下した決断が正解だったかどうかは、今後どのように得た経験を活かすかにかかってる。その決断を正解にできるか否か、それは君の力量にかかっており、そのもの自体が人生の醍醐味だよん。

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